山崎 延吉(やまざきのぶよし)−日本デンマークの基礎を築いた人− <時代>明治時代  <地域>西三河
山崎延吉胸像(安城農林高等学校内) 安城農林高等学校

<関係地>
  愛知県立安城農林高等学校 安城市池浦町茶筅木1 (JR東海道本線安城駅下車徒歩20分)
<業績>
  山崎延吉は,県立安城農林学校の初代校長として同校に赴任した。良い校風をつくっただけでなく,全国各地を巡って農業経営の在り方について指導した。延吉は農業を高く評価し,むだなく勤勉に働くように指導した。そのため,多角型農業を勧めたり,組合をつくって出荷や購入を共同で行ったり,資金を融通し合ったりすることを勧めた。1920年代から30年代にかけて,安城は「日本デンマーク」と呼ばれた。 
<年譜>
1873年(明治6) 
1897年(明治30) 
1901年(明治34) 
1920年(大正9) 
1921年(大正10) 
1923年(大正12) 
1926年(大正15) 
1934年(昭和9) 
1954年(昭和29) 
石川県の士族の家に生まれる
東京帝国大学農芸化学科を卒業
県立安城農林学校の初代校長となる
農林学校を退職する
全国の農村を巡って「農業経営の改革」を説く
愛知県農会夏季大会で講演する
多角型農業を提唱する
「安城は日本デンマーク」という言葉が広まる
82歳で没

<学習のポイント>
  多角型農業とはどのようなものだろうか。
  なぜ安城は「日本デンマーク」と言われていたのだろうか。
<参考資料>
  「安城市史」安城市教育委員会
  安城市中央図書館ホームページ 
<問い合わせ先>
  安城市歴史博物館 0566-77-6655

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