近藤 坦平(こんどうたんぺい)−西洋医学を広める−
<時代>
明治時代
<地域>
西三河
洋々医館(ようよういかん)跡
洋々医館跡地図
<関係地>
碧南市鷲林町三丁目 (名鉄三河線碧南中央駅下車,市内循環くるくるバス乗り換え,鷲塚町下車徒歩5分)
<業績>
近藤坦平は,1844年(弘化元)現在の碧南市鷲塚町に生まれた。1863年(文久3)に江戸に出て松本良順(まつもとりょうじゅん)などに外科の医学を学び,その翌年,長崎に行って精得館(長崎大学医学部の前身)の学生となり,オランダ人医師から西洋医学を学んだ。
後に,郷里のために役に立ちたいという思いから,帰郷して「洋々堂」(後に洋々医館と改称)という西洋式の病院を建てるとともに,「密峰義塾」(みっぽうぎじゅく)という医学校を開いた。この塾は当時,東海地方随一の西洋医学校と言われ、塾生は84人に達した。また,現在は廃館となっているが,「密峰義塾」で学んだ多くの人が,生まれた土地に帰って,医師として村人のために尽くしており,現在にも大きな影響を与えている。
<年譜>
1844年(弘化元)
1863年(文久 3)
1864年(元治元)
1868年(明治元)
1872年(明治 5)
1891年(明治24)
1895年(明治28)
1929年(昭和 4)
現在の碧南市鷲塚町に生まれる
江戸に出て医学を学ぶ
長崎の精得館に入学する
帰郷し、沼津藩の藩医となる
洋々堂、密峰義塾を開く
県連合医師会会長になる
洋々医館と改称する
84歳で没
<学習のポイント>
蘭学や西洋医学に関係する杉田玄白,前野良沢やシーボルトなどと関連させながら近藤坦平の業績を調べてみる とよい。
<見学のポイント>
洋々医館跡に近藤坦平の業績を紹介した石碑がある。
<参考資料・ホームページ>
「愛知に輝く人々2」
碧南市民図書館ホームページ
http://www.city.hekinan.aichi.jp/TOSHOKAN/index.htm
<問い合わせ先>
碧南市市史資料調査室 0566−41−4566
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