大久保忠教 (おおくぼただたか)  <時代>江戸時代  <地域>西三河
生誕地 陣屋跡
 
<関係地>  生誕地 岡崎市上和田町 (JR東海道線岡崎駅下車,徒歩20分)   
          陣屋跡 幸田町坂崎 (名鉄バス高力北下車,徒歩10分)
<業績>
 大久保忠員(ただかず)の八男。通称彦左衛門。大久保家は徳川家譜代の名門で代々主家のために尽してきた家柄だった。忠教もその家の人間にふさわしい活躍をし,1575年(天正3),15歳で家康に浜松で仕え,翌年,遠江犬居城(とうとうみいぬいじょう)攻め,1581年の遠江高天神城(とうとうみたかてんじんじょう)攻めなど武田軍との戦いで戦功を上げた。大坂の陣でも活躍し、後年、故郷である三河(現岡崎市竜泉寺町,桑谷町,生平町,幸田町坂崎)に知行地(ちぎょうち)を与えられた。幸田町坂崎には、陣屋跡の石垣が残されている。
 家康死後も2代将軍徳川秀忠の上洛に従い,3代将軍徳川家光の代になっても徳川家に忠義を尽くし,晩年まで武士としての生き方を貫いた。
その後余生を送りながら,子孫に武功と教訓を与えるために「三河物語」の執筆に没頭した。三河武士としての誇りを失わないその生き方から,映画の主人公になることも多く,「天下のご意見番」の愛称で親しまれている。
<年譜>
1560年(永禄3)岡崎市上和田に生まれる
1600年(慶長5)関ヶ原の合戦
1614年(慶長19)大坂の陣
1639年(寛永16)80歳で没 
<学習のポイント>
 「三河物語」を読み,当時の武士の生き方について考えてみよう。 
<見学のポイント>
 陣屋跡の石垣は,当時のものが残っており興味深い。
<参考資料>
 「幸田町史」(幸田町教育委員会)

<問い合わせ先>
 幸田町教育委員会 (0564)63-5142

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