砥鹿神社(とがじんじゃ)   <時代>奈良時代  <地域>東三河
砥鹿神社本殿

<所在地> 豊川市一宮町西垣内2(JR飯田線三河一宮駅下車徒歩7分)

<概要>
 砥鹿神社は,文武天皇(もんむてんのう)の時代,701年(大宝元)天皇の使者としてこの地に来た草鹿砥公宣卿(くさかどきんのぶきょう)が本宮山の山中で不思議な老人に会い,その指示で創建されたものと伝わっている。本宮山頂には砥鹿神社の奥宮がまつられている。その神は大己貴命(おおなむちのみこと)でいつのころからか三河国の一宮とされ,10世紀初頭に書かれた延喜式(えんぎしき)の中にも記載されている。幕末のころの草鹿砥宣隆(くさかどのぶたか)は国学者平田篤胤(ひらたあつたね)の門人として国学を究めた。
<学習のポイント>
 古代三河国における一宮としての役割や,幕末の国学思想の発達を学ぶ際に地元の国学者としての草鹿砥宣隆を調べてみるとよい。 
<見学のポイント>
 現在も東三河における神社の中心であり初詣など多くの参拝客が訪れる。毎年5月4日に行われる神幸祭(しんこうさい)では,流鏑馬(やぶさめ)が行われる。これは弓矢の射手が馬を走らせながら的を射抜くというもので鎌倉時代のころから受け継がれている神事である。

<参考資料>
 「一宮町誌」 「図説東三河の歴史」 「東三河の歴史」 「愛知県の歴史散歩」
<問い合わせ先・ホームページ>

 砥鹿神社 0533-93-2001 http://www.togajinja.or.jp/
 
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