ベルツの供養塔 (べるつのくようとう)  <時代>明治時代  <地域>東三河
西明寺にあるベルツの供養塔

<所在地> 豊川市八幡町寺前7(名鉄名古屋本線国府駅下車徒歩10分)

<概要>
 エルウィン=ベルツは,日本近代医学の発展に貢献したドイツの医学者である。1867年(明治9)に来日し,のちの東京大学にあたる東京医学校で教鞭をとり,明治天皇の侍医としても活躍した。また彼が書き残した「ベルツの日記」は,明治史の貴重な史料となっている。ベルツは来日中に日本人の戸田ハナと結婚する。彼女の祖父は御油(ごゆ)に住んでいたが吉田(豊橋)に引っ越し,父の熊吉は江戸に出て荒井家の婿養子となった。そして1864年(元治元)ハナが生まれた。戊辰戦争(ぼしんせんそう)により一時吉田に身を寄せるが,父の死で再び東京に戻り,ある高官夫人の目に留まったことがきっかけで1888年(明治28)ベルツと結婚した。1905年(明治38)任期を終えたベルツとともにハナもドイツに渡るが,夫の死後日本に戻り,菩提寺である豊川市の西明寺にベルツと早くに死んだ娘の菩提を弔うため供養塔を建てた。 

<学習のポイント>
 近代国家へ成長していく明治時代の初期には多くの外国人が来日して進んだ学問や文化を伝えた。ベルツもそのひとりとして日本の医学にどのように貢献したのか調べてみたい。
<見学のポイント>
 西明寺境内の左に戸田ハナが建てたベルツの供養塔がある。供養塔のかたわらには,水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)の句碑があり,「菊にほう国に大医名をととむ」と刻んである。
<参考資料>
 「豊川市史」・「図説東三河の歴史」・「愛知県の歴史散歩」・「豊川の歴史散歩」

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