伊良湖東大寺瓦窯跡 (いらごとうだいじがようせき) <時代>鎌倉時代 地域>東三河
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発掘保存されている瓦窯跡 |
瓦窯跡石碑 |
<所在地> 田原市伊良湖町瓦場(豊鉄バス伊良湖本線亀山西下車徒歩30分)
<概要>
伊良湖東大寺瓦窯跡(いらごとうだいじがようせき)とは,1180年(治承4)源平の合戦の最中に平重衡(たいらのしげひら)により焼き打ちされ焼失した東大寺を再建する際に使われた大仏殿の瓦を焼いた古窯である。渥美半島の先端近く,初立ダム堰堤(えんてい)南側の傾斜地にある。この東大寺の復興の中心になったのは,朝廷から造東大寺勧進職(かんじんしき)に任命された俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)であり,東大寺中興(ちゅうこう)の祖として知られる。この時大仏殿の屋根瓦の製作を引き受けたのが備前岡山の万富(まんどみ)と,三河伊良湖であった。
出土した瓦には,いずれも東大寺の銘があり,鐙瓦(あぶみがわら)(軒丸瓦ともいう)には「東大寺大仏殿瓦」の文字が刻まれている。また,瓦経(かわらきょう)などの宗教用具や甕(かめ)・壺・小皿などの生活用具も出土している。出土品は田原市渥美郷土資料館に展示されている。1966年(昭和41)から2年間の発掘調査で窯3基,多くの大仏殿瓦などが発見され,国指定の史跡となった。現在3基の窖窯(あまがま)が保存されている。
<学習のポイント>
瓦の重さは平瓦でも7kgほどある。奈良の東大寺までのルートは,近くの福江湾から伊勢にわたり伊賀・大和を行く陸路説と,直接大阪湾に入る海路説がある。どのような方法で運んだのか考えてみよう。
<見学のポイント>
現在,発掘された窯などは埋め戻され,石で窯の位置が表示されている。現地ではその大きさを実感したい。また,発掘された瓦ほか出土品は田原市渥美郷土資料館で見学できる。
<参考資料>
「渥美町史」「図説東三河の歴史」「東三河の歴史」「愛知県の歴史散歩」
<問い合わせ先・ホームページ>
田原市教育委員会(文化財課) 0561-23-3635
田原市渥美郷土資料館 0531-33-1127 http://www.taharamuseum.gr.jp/siryoukan/index.html
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