神野 金之助(かみのきんのすけ)―神野新田の開発者―  <時代>明治時代  <地域>東三河
神野金之助 神野金之助翁頌徳碑

<関係地> 神野新田資料館(豊橋市神野新田町)(豊橋バス牟呂線・神野ふ頭線牟呂学校前下車徒歩15分)

<業績>
 神野金之助は1849年(嘉永2)現在の愛西市で生まれた。15歳で家督を継ぎ,23歳の時に長兄の養子先であった富田家の紅葉屋を経営する。輸入業,金融業,土地経営,山林事業と経営を拡大し,1893年(明治26)には豊橋にある神野新田の開発にのりだした。
 当時の新田はもともと毛利新田と呼ばれ,毛利祥久(もうりよしひさ)が開発したが,たび重なる災害で新田が破壊され開発を断念していた。金之助はそれを買い取り,巨額の費用を投じて新田・用水の修復に当たり1896年(明治29)これを完成させたのである。
<年譜>
1849年(嘉永2) 現在の愛西市で生まれる
1864年(元治1) 家督を継ぐ
1872年(明治5) 紅葉屋の経営に参加
1893年(明治26)毛利祥久より新田を買い取り開発に着手
1896年(明治29)神野新田完成
1904年(明治37)貴族院議員となる
1922年(大正11)73歳で没

<学習のポイント>
  毛利新田時代に開発された牟呂用水についても調べてみるとよい。新田開発や用水開発がこの地方の農業の発展に果たした役割を考えてみる。 

<見学のポイント>  
  現在牟呂町に神野新田資料館があり新田開発の歴史を勉強できる。また牟呂町市場には「神野新田紀徳の碑」があり,神野新田町の神富神社境内に「神野金之助翁頌徳碑」がある。

<参考資料>
  図説東三河の歴史」 「郷土豊橋を築いた先駆者たち」
牟呂用水地域と自然

<問い合わせ先>
  神野新田資料館   0532-45-7476

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