中村 道太(なかむらみちた)    ―東三河に国立銀行を設立した銀行家― <時代>明治時代  <地域>東三河
中村道太 豊橋公園の顕彰碑

<関係地> 豊橋市今橋町豊橋公園(中村道太の碑)  (豊橋鉄道市内線市役所前下車徒歩3分)
<業績>  
  中村道太は吉田藩士の中村哲兵衛の長男として生まれ,小さいころから秀才で漢学,国学,英学などを学んだ。28歳の時,福沢諭吉の書いた『西洋事情』に感動し,彼を訪れ師弟関係を結んだ。その後丸屋商社(のちの丸善)に入社し社長となる。そして豊橋に戻り,東三河地方で初めての銀行である浅倉屋積金所(つみきんしょ)を設立し,さらに政府の国立銀行条例に基づき豊橋に第八国立銀行を設立した。1880年(明治13)横浜正金銀行頭取となるが,2年半で辞任し,東京米商会所の頭取となる。しかし,資金を立憲改進党の大隈重信に流したことで失脚した。

<年譜>
1836年 (天保7) 吉田藩士中村哲兵衛の長男として生まれる
1866年 (慶応2) 福沢諭吉を訪問し師弟関係を結ぶ
1872年 (明治5) 丸屋商社(のちの丸善)に入社,社長となる
1875年 (明治8) 豊橋に浅倉屋積金所設立
1877年 (明治10) 豊橋に第八国立銀行設立
1880年 (明治13) 横浜正金銀行頭取となる
1921年 (大正10) 85歳で死去

<学習のポイント>
  近代的な金融の制度が確立する過程を調べてみよう。また中村道太の銀行設立がこの地方の経済にどのような影響を与えたか考えてみよう。

<見学のポイント>
  現在豊橋公園内に「中村道太の碑」が建てられている。第八国立銀行は名古屋の第百三十四国立銀行(愛知銀行(東海銀行の前身の一つ)の前身)に吸収された。横浜正金銀行は東京銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)である。

<参考資料>
  「豊橋市史」「図説東三河の歴史」「東三河の近代を築いた人々」「郷土豊橋を築いた先覚者たち」

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