渡辺 崋山(わたなべかざん)― 蛮社の獄で処罰された蘭学者―<時代>江戸時代  <地域>東三河

池ノ原公園にある崋山の銅像 崋山幽居(かざんゆうきょ)の家(池ノ原公園)

<関係地> 蟄居(ちっきょ)の地 田原市田原町中小路(なかこじ)(豊橋鉄道渥美線三河田原駅下車徒歩15分)
<業績>
 渡辺崋山は,幼少のころから絵画を学び,「一掃百態」(いっそうひゃくたい)や「鷹見泉石像」(たかみせんせきぞう)など有名な絵画を残している。1833年(天保4)40歳で江戸詰家老となり,農学者を招くなど領民の生活安定のために献身的な活動をした。崋山は藩政を担当しながら,かたわら江戸で尚歯会(しょうしかい)と呼ばれる蘭学研究会で高野長英(たかのちょうえい)や小関三英(こせきさんえい)ら多くの蘭学者との交流を深めた。しかし,蘭学の隆盛は保守派勢力にとっては大きな脅威となっていた。そして,幕府の目付(めつけ)鳥居耀蔵(とりいようぞう)が,蘭学者弾圧の機会をうかがう中,『慎機論』(しんきろん)の内容が幕政を批判しているとされ,高野長英らとともに重罰に処せられた。これが1839(天保10)の蛮社の獄(ばんしゃのごく)である。
 崋山は田原・池ノ原に家族とともに蟄居(ちっきょ)となったが,藩及び藩主に災いが及ぶことを恐れ,1841年(天保12)池ノ原屋敷にて「不忠不孝渡邉登」(ふちゅうふこうわたなべのぼり)と大書きし,自刃した。

<年譜>
1793年(寛政5)江戸田原藩邸で生まれる
1800年(寛政12)お伽役(おとぎやく)(若君の手習いや遊びの相手)として藩に出仕
1811年(文化8)画家の谷文晁(たにぶんちょう)に師事
1818年(文政1)「一掃百態」を描く
1832年(天保3)田原藩家老となる
1839年(天保10)蛮社の獄で処罰される
1841年(天保12)自刃 49歳で没

<学習のポイント>
 渡辺崋山は,東三河出身の中で最も知名度の高い歴史的人物である。彼の絵画や人物像,田原藩における政治,蘭学者としての側面などを調べ,学習を深めよう。
<見学のポイント>
 池の原公園には崋山が蟄居していた建物と,彼の生い立ちが分かる説明版や銅像が見学できる。崋山に関する詳しい資料は,田原市博物館に展示してある。
<参考資料>
 「田原町史」「図説東三河の歴史」「愛知県の歴史散歩」「東三河の歴史」

<問い合わせ先・ホームページ>
  田原市教育委員会文化財課 0531-23-3635
  田原市博物館 0531-22-1720 http://www.taharamuseum.gr.jp/

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