菅江 真澄(すがえますみ)        ―日本民俗学の先駆者―  <時代> 江戸時代  <地域>東三河
菅江真澄像 秋田にある菅江真澄の墓碑

<関係地> 植田家真澄関係資料 (豊橋市小向町北小向)

<業績>
 菅江真澄は,本名を白井英二といい,1754年(宝暦4)頃,三河国吉田(豊橋)に生まれた。幼少期に吉田藩の文化人植田義方(うえたよしえ)から国学・和歌等を学んだ。尾張で植物などの薬用についての学問である本草学(ほんぞうがく)を学び,30歳のとき三河を出発し,各地の古い神社を参拝したいとして旅に出た。その後47年間,東北地方を巡り歩いてその地方の民俗,習慣,風景などをしっかりした観察と優れた描写で記録した。彼のこれらの著作をまとめて『遊覧記』と呼んでいる。1829年(文政12)三河に戻ることなく秋田で76歳の生涯を閉じた。彼の記録は日本の民俗学のさきがけであり貴重な文献である。

<年譜>
1754年(宝暦4)

1783年(天明3)
1788年(天明8)
1799年(寛政11)
1801年(享和元年)
1829年(文政12)
三河国で生まれる
尾張で本草学を学ぶ
三河を出発し東北へ
蝦夷地に渡り,松前藩の庇護をうける
津軽藩薬物係を免ぜられる
菅江真澄と称するようになる
秋田県田沢湖で死去 76歳

<学習のポイント>
 日本における民俗学の第一人者は柳田国男(やなぎだくにお)であるが,すでに江戸時代に東北地方の生活習慣や,地誌を調べて克明に記録に残した菅江真澄は民俗学の先駆者と言える。民俗学の重要性とおもしろさも一緒に考えてみよう。

<見学のポイント>
 豊橋市小向町の植田義方の子孫の家に関係資料が残されている。また墓は,秋田県秋田市寺内にある。
<参考資料>
 「図説東三河の歴史」 ・菅江真澄研究会 

<問い合わせ先>
 菅江真澄研究会 (秋田市寺内字児桜81 古四王神社社務所内)

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