富安 風生(とみやすふうせい) ―ホトトギス派の代表的俳人― <時代>
昭和時代 <地域>東三河
富安 風生
生家近くにある風生の句碑
<関係地>
句碑 豊川市金沢町大坂神社 (JR飯田線江島駅下車徒歩40分)
<業績>
富安風生は,ホトトギス派を代表する東三河出身の俳人である。師は高浜虚子。風生は雅号であり,本名は謙次。東大卒業後は,官僚としての恵まれた道を歩むかたわら,俳句の道を志した。句誌「ホトトギス」「若葉」の発刊に携わり,1933年(昭和8)には第一句集「草の花」を出版するなど,大正〜昭和期に活躍した。彼の句風は,同志の水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)の言によれば,「軽快で分かりやすく,さらりとして誰にでも親しみやすい」ものである。
故郷の豊川市金沢町を流れる牟呂用水の近くには,「里川の 若木の花もなつかしく」と刻まれた歌碑が建てられている。
<年譜>
1885年
(明治18)
八名郡金沢村(現豊川市金沢町)で生まれる
1918年
(大正 7)
福岡郵便局長となる
1919年
(大正 8)
福岡来遊の高浜虚子と初めて出会う
1933年
(昭和 8)
第1句集「草の花」刊
1937年
(昭和12)
官界を退き,俳句の道に専念する
1971年
(昭和46)
句集「米寿前」刊。芸術院賞を受ける
1971年
(昭和54)
94歳で没
<学習のポイント>
郷土の俳人富安風生の生い立ちを知り,彼の作品を鑑賞しながら,近代俳句の歴史を学び取ってみよう。
<参考資料>
「三河人物散歩」「東三河の近代を築いた人びと」
<問い合わせ先>
豊川市一宮歴史民俗資料館 0533-93-3013
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