三浦 英太郎(みうらえいたろう) ―養蚕学の父―  <時代>昭和時代   <地域>東三河
三浦英太郎の胸像(塩津小学校) 著書「養蚕法原論」

<関係地> 蒲郡市竹谷町今御堂31の1  蒲郡市立塩津小学校 (JR東海道本線三河塩津駅下車徒歩10分)
<業績> 三浦英太郎の生家は農家で養蚕を手掛けていたようである。幼くして秀才の誉れ高く,愛知第二中学校(現県立岡崎高等学校)卒業後は,念願の農商務省京都蚕業講習所(現京都工芸繊維大学)へ入学。誠実勤勉,学問一筋に励み,首席で卒業した後も研究室に留まり,養蚕の研究に没頭した。その後,京都高等蚕業学校となった母校で,教授として教鞭をとりながら研究を進め,「蚕の人工孵化(ふか)法」の発明など画期的な成果を収めた。この功績 により農学博士号を受け,我が国養蚕学の権威者として不動の地位を築き「養蚕学の父」と呼ばれた。晩年は官の職を辞し,郷里で野生の蚕の研究に力を注いだ。
<年譜>

1887(明治20)  宝飯郡蒲郡町塩津村現蒲郡市)に生まれる
1908
(明治41 農商務省京都蚕業講習所卒業。同所研究室に留まる
1922(大正11) 「養蚕法原論」出版
1925(昭和元)  京都高等蚕業学校教授
1946(昭和21)  日清紡野蚕研究所長
1948(昭和23) 「養蚕学原論」出版
1964年(昭和39)  死去(享年78歳)


<学習のポイント>
 養蚕学とはどのような学問か調べ,当時の日本の産業との関連を考えてみよう。

<参考資料>
「三河人物散歩」

<問い合わせ先・ホームページ>

 蒲郡市博物館 0533−68−1881 ttp://www.city.gamagori.aichi.jp/museum/

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