玉の海(たまのうみ)
―土俵を飾った根性の名横綱―
<時代>
昭和時代
<地域>
東三河
玉の海
蒲郡相撲場前の玉の海の石像
<関係地>
石像…蒲郡市相撲場(JR東海道本線蒲郡駅下車徒歩15分
玉の海は,身長180pに満たない小兵力士ながら,胴長,広い肩幅の体型を生かした右四つ相撲を完成させ,一部には双葉山の再来とまで言われた。横綱在位10場所の内,優勝4回,準優勝1回を飾り,横綱北の富士と共に北玉時代を築き上げつつあった。しかし,彼には悲劇が待ち構えていた。1971年(昭和46)夏場所に,虫垂炎にもかかわらず横綱としての責任感から土俵に立った。その後も横綱としての務めを優先させ,手術の機会を再三遅らせた。その年の秋場所後に東京の虎ノ門病院に入院し手術を受けたが,数日後の朝,突然の心臓発作で倒れ,27歳の若さで死去した。
<年譜>
1944年(昭和19) 大阪市生野区で生まれる。本名,谷口正夫
1953年(昭和28) 蒲郡市御幸町へ転居
1959年(昭和34) 蒲郡中学校を卒業し,大相撲へ。しこ名「玉乃島」
1964年(昭和39) 春場所,新入幕
1966年(昭和41) 九州場所,新大関
1970年(昭和45) 春場所,新横綱(第51代),「玉の海」に改名
1971年(昭和46) 10月11日,急死
<学習のポイント>
相撲,野球などで活躍した郷土出身の人々について調べるとともに,近代以降のスポーツの歴史について研究してみよう。
<参考資料>
「三河人物散歩」「東三河の近代を築いた人びと」
<問い合わせ先・ホームページ>
蒲郡市博物館0533−68−1881
http://www.city.gamagori.aichi.jp/museum/
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