東上分一番所(とうじょうぶいちばんしょ)  <時代>江戸時代  <地域>東三河
(東上分一番所の碑)

<所在地>豊川市東上町(JR飯田線東上駅下車徒歩7分)
<概要>
 豊川は江戸時代に東三河の流通をになう河川交通として利用された。特に新城(しんしろ)は山の湊(やまのみなと)と呼ばれて下流の吉田(現豊橋)からの荷物と信州方面からの荷物の中継地点であった。東上分一番所は,豊川を下る船の荷物に課税をする幕府の番所として,1643年(寛永20)に設けられた。丸太は10分の1,薪は10分の1,建築材は30分の1,煙草は70分の1など、価格の何分の1と言う基準で課税したため,分一番所と呼ばれた。ただし課税されるのは下りの荷物だけで,上りの荷や年貢米などは免除された。
<学習のポイント>
 江戸幕府の税制や,当時の水運の重要性を学習する。また豊川の水運で活躍した鵜飼船という独自の船も調べてみるとよい。
<見学のポイント>
 豊川の堤防沿いにあった分一番所の碑は現在移動されて,輪繰神社の参道の先,豊川とぶつかる手前にある鳥居のわきにある。
<参考資料>
 「一宮町誌」「東三河の歴史」「愛知の歴史散歩」「三河の街道と宿場」
<問い合わせ先・ホームページ>
  豊川市一宮歴史民俗資料館 0533-93-3013  
 
 愛知エースネットへ      トップへ