岩略寺城(がんりゃくじじょう)  <時代>室町時代  <地域>東三河
岩略寺城跡

<所在地>豊川市長沢町御城山(名鉄名古屋本線名電長沢駅下車徒歩30分)

<概要>
 長沢は東西三河の接点に当たり,戦略上の要地であった。岩略寺城(長沢山城)は,標高 168mの御城山の中腹から山頂にかけて築かれた山城である。城跡面積約28,000uで,頂上をならして築いた本曲輪(300坪)を中心に曲輪の数40余,井戸5か所,堀,堀切,石塁(長さ200m,高さ1.4m),土塁(長さ50m,高さ2m),排水溝等多くの遺構が保存されている。県内でも最大規模,東海地方でも有数の中世城郭である。
 築城については,いつ,だれが,どんな目的で築き在城したかは明らかではない。一説には,三河守護細川成之の時代,1444〜1449年(文安年間)のころ,関口満興によって築かれ,その後,松平家3代信光によって攻略され,長沢松平家始祖,親則に与えられたと言われる。
<学習のポイント>
 戦国争乱の時代に山城の果たした役割について考えるとともに,その遺構を通して具体的な山城の形をつかんでみよう。
<見学のポイント>
 旧東海道を挟んで長沢小学校と相対する位置にある。山頂までは道路が整備され,車でも徒歩でも行くことができる。説明看板や主な遺構の標柱なども設置されていて分かりやすいので,是非現地まで足を運びたい。
<参考資料>
 「三河の史跡と人物で綴る歴史指導資料集」「音羽の文化財」
<問い合わせ先・ホームページ>
 豊川市教育委員会(生涯学習課) 0533ー88−8035
 http://www.city.toyokawa.lg.jp/(豊川市役所) 

 愛知エースネットへ      トップへ