山本勘助の墓(長谷寺) |
<概要>
武田信玄の軍師として有名な山本勘助は,1500年(明応9)八名郡賀茂村(豊橋市賀茂町)に生まれた。
15歳で牛久保の牧野家家臣大林勘三衛門の養子となり,その後,武者修行のため諸国を歴遊し,武名を高めた。
45歳の時,甲斐の武田信玄と主従関係を結び,知謀をもって忠誠を尽くした。牛久保在住以来,長谷寺の住職念宗和尚と
親交のあった勘助が,武田信玄に召し抱えられた時,遺髪を念宗和尚に託したと言われている。1561年(永禄4),
川中島の合戦で勘助が戦死した後,その死を悼み遺髪を埋めて建立したのが,五輪の墓である。
<学習のポイント>
山本勘助と武田信玄について,戦国時代の武士の主従関係を考えてみよう。
<見学のポイント>
勘助の守り本尊であったとされる麻利支天像(まりしてんぞう)が長谷寺に安置されている。
<参考資料>
「豊川の歴史散歩」「豊川市の歴史」
<問い合わせ先>
桜ヶ丘ミュージアム 0533-85−3775