山本勘助の墓(やまもとかんすけのはか) <時代>戦国時代        <地域>東三河
山本勘助の墓 地図
山本勘助の墓(長谷寺)

<所在地> 長谷寺(ちょうこくじ)豊川市牛久保町寺町 (JR飯田線牛久保駅下車徒歩10分)

<概要>
  武田信玄の軍師として有名な山本勘助は,1500年(明応9)八名郡賀茂村(豊橋市賀茂町)に生まれた。 15歳で牛久保の牧野家家臣大林勘三衛門の養子となり,その後,武者修行のため諸国を歴遊し,武名を高めた。 45歳の時,甲斐の武田信玄と主従関係を結び,知謀をもって忠誠を尽くした。牛久保在住以来,長谷寺の住職念宗和尚と 親交のあった勘助が,武田信玄に召し抱えられた時,遺髪を念宗和尚に託したと言われている。1561年(永禄4), 川中島の合戦で勘助が戦死した後,その死を悼み遺髪を埋めて建立したのが,五輪の墓である。

<学習のポイント>
  山本勘助と武田信玄について,戦国時代の武士の主従関係を考えてみよう。

<見学のポイント>
  勘助の守り本尊であったとされる麻利支天像(まりしてんぞう)が長谷寺に安置されている。

<参考資料>
  「豊川の歴史散歩」「豊川市の歴史」

<問い合わせ先>
  桜ヶ丘ミュージアム  0533-85−3775

 愛知エースネットへ      トップへ