牛久保城趾(うしくぼじょうし)  <時代>戦国時代      <地域>東三河
牛久保城趾の碑 牛久保城下古図
牛久保城趾の碑 牛久保城下古図(牛久保の牧野氏年譜より)

<所在地> 豊川市牛久保町(JR飯田線牛久保駅下車徒歩5分)

<概要>
  牛久保城は,1529年(享禄2)今橋城主牧野信成(まきののぶしげ)の命を受けた一色城主牧野成勝(まきのしげかつ) により築城された。 扇状台地の端に作られた平城(ひらじろ)で,南は下郷を一望でき,北には二重の堀をめぐらしていた。 城を取り囲むように武家の屋敷, その北に町人の町通り,さらに家が通りに面して連なり,周辺部に寺院などを配置して外敵にそなえている。 しかも,城に向かって直線に入る道は一本もなく,必ず曲尺手(かねんて)になっている。このような町は, 近世の城下町の先がけであったと考えられる。
  牧野氏支配の後は,吉田城主酒井忠次続いて池田輝政の支配となり,1600年(慶長5)には牛久保が天領となった。 そして,1700年(元禄13)廃城となった。今は,昔の面影はなく,JR牛久保駅周辺の「大手」「城跡」「城下」等の地名だけが残っている。

<学習のポイント>
  戦国の世に,牛久保の町を開いた牧野氏について,調べてみよう。

<見学のポイント>
  桜ヶ丘ミュージアムには,牛久保城下古図など牧野氏に関する展示説明がある。

<参考資料>
  「図説・東三河の歴史」「牛久保の牧野氏年譜」「豊川の歴史散歩」

<問い合わせ先>
  桜ヶ丘ミュージアム  0533-85-3775

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