牛久保城趾の碑 | 牛久保城下古図(牛久保の牧野氏年譜より) |
<概要>
牛久保城は,1529年(享禄2)今橋城主牧野信成(まきののぶしげ)の命を受けた一色城主牧野成勝(まきのしげかつ) により築城された。 扇状台地の端に作られた平城(ひらじろ)で,南は下郷を一望でき,北には二重の堀をめぐらしていた。 城を取り囲むように武家の屋敷, その北に町人の町通り,さらに家が通りに面して連なり,周辺部に寺院などを配置して外敵にそなえている。 しかも,城に向かって直線に入る道は一本もなく,必ず曲尺手(かねんて)になっている。このような町は, 近世の城下町の先がけであったと考えられる。
牧野氏支配の後は,吉田城主酒井忠次続いて池田輝政の支配となり,1600年(慶長5)には牛久保が天領となった。 そして,1700年(元禄13)廃城となった。今は,昔の面影はなく,JR牛久保駅周辺の「大手」「城跡」「城下」等の地名だけが残っている。
<学習のポイント>
戦国の世に,牛久保の町を開いた牧野氏について,調べてみよう。
<見学のポイント>
桜ヶ丘ミュージアムには,牛久保城下古図など牧野氏に関する展示説明がある。
<参考資料>
「図説・東三河の歴史」「牛久保の牧野氏年譜」「豊川の歴史散歩」
<問い合わせ先>
桜ヶ丘ミュージアム 0533-85-3775