中村 慶蔵(なかむらけいぞう)   ―みそ・しょうゆ造りの研究家―  <時代>昭和時代  <地域>東三河
中村慶蔵 イチビキ第一工場

<関係地> イチビキ第一工場(豊川市御油町)名鉄名古屋本線御油駅下車徒歩5分

<業績>
 中村慶蔵はみそ・しょうゆの醸造を営む中村家の長男として生まれた。当時のみそ造りは,きわめて原始的なもので,長い時間をかけて自然発酵させるというものであった。慶蔵の父(初代慶蔵)は,新しい技術導入のため,長男の彼を学問の道に進ませ,醸造技術の勉強に努めさせた。慶蔵は,東京帝国大学大学院に入り,ビタミンBの発見者として有名な鈴木梅太郎に師事し研究に励んだ。
 やがて父の病気が重くなり,大学院を中退した慶蔵は,家業に専念することになった。
 1913年(大正2),当時としては珍しい多管式石炭ボイラーを導入して機械化への大きな一歩を踏み出し,翌年,現在のみそ・しょうゆ造りの基礎となる味噌溜醤油製麹法(みそたまりしょうゆせいぎくほう)を完成させた。
<年譜>
1883年(明治16) 現在の豊川市御油町で生まれる
1908年(明治41) 中村式醤油麹製造法完成
1914年(大正 3) 味噌溜醤油製麹法の特許取得
1919年(大正 8) 大津屋株式会社設立。本社,御油町
1923年(大正12) 研究所竣工
1961年(昭和36) イチビキ株式会社に社名変更。本社を名古屋市中区へ移転する
1970年(昭和45) 88歳で御油町において没

<学習のポイント>
 古くからある伝統的なみそ・しょうゆ造りの研究に精力を注ぎ,新しい製造技術を開発した中村慶蔵の功績について調べてみよう。
<見学のポイント>
 予約すれば工場見学ができる。中村慶蔵邸や研究所は既に取り壊され,慶蔵ゆかりの建造物は少ないが,見学者向けのビデオには,古い時代の醸造法なども紹介されている。
<参考資料>
 「三河の史跡と人物で綴る歴史指導資料集」
<問い合わせ先>
 イチビキ株式会社第一工場 (0533)87−2121

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