福谷啓吉 | 福谷敬吉の墓 正琳寺 |
<年譜> | |
1819年(文政 2) | 吉田(豊橋市萱町 )に生まれる |
1835年(弘化元) | 故郷吉田を去る 京都・長崎で学び、のち、佐賀藩に召し抱えられ、佐賀藩士となる |
1855年(安政 2) | 長崎海軍伝習所に参加する |
1860年(万延元) | 日米修好通商条約の批准書交換 吉田にいる病床の父喜久蔵を見舞う |
1883年(明治16) | 豊橋に引退 |
1889年(明治22) | 70才で没 |
<学習のポイント>
遣米使節団の正使は時の外国奉行新見豊前守正興(しんみぶぜんのかみまさおき)、副使は村垣淡路守範正(むらがきあわじのかみのりまさ)であった。
福谷啓吉はその副使村垣の従者としてアメリカに渡るが、村垣が綴った日記を読んでみよう。
<見学のポイント>
豊橋市花園町正琳寺(関係資料はない)に自然石を横たえた墓石がある。
<参考資料>
「世界と結ぶ豊橋」「東三河産業功労者伝」