小淵 志ち(おぶち しち)  玉糸製糸業の創始者   <時代>明治時代   <地域>東三河
小淵志ち 糸徳製糸工場跡
小淵志ち 糸徳製糸工場跡

<関係地> 
小淵志ち像 岩屋山 (JR豊橋駅 豊鉄バス 岩屋観音バス停下車)
糸徳製糸工場跡 豊橋市二川地区市民館 (JR二川駅 下車徒歩20分)

<業績>
 小淵志ちは,玉糸(たまいと)製糸の創始者である。1847年(弘化4)群馬県に生まれ,母親から繰り糸の作業を習い15歳の頃工女となったが, 1879年(明治12)故郷を離れ,豊橋の二川に移り住んだ。そして,1885年(明治18)二川の隣村大岩で製糸工場を創業した。その工場の名「糸徳(いととく)製糸」は, 苦労を共にしてきた中島徳次郎の名前からとった。志ちは,くず繭として利用価値の薄かった玉繭の製糸法を開発して,1892年(明治25)に玉糸製糸の商品化に成功し, 豊橋が「玉糸王国」と呼ばれるまでに発展する道を開いた。1910年代,輸出振興策の推進によって輸出が盛んとなり,乾繭取引所が豊橋に置かれた。

<年譜>
1847年 (弘化 4) 群馬県勢多郡に生まれる
1879年 (明治12) 故郷を離れ,豊橋へ移住する
1885年 (明治18) 糸徳製糸工場を興す(1957年(昭和32)廃業)
1929年 (昭和 4) 82才で没

<学習のポイント>
  明治から昭和初期まで,製糸産業が発展する経過を日本経済や世界経済の視点から調べてみよう。また,豊橋の製糸産業を支えた背景も調べてみよう。

<見学のポイント>
  岩屋山の山腹に小淵志ち像がある。太平洋戦争中の供出のため銅像が撤去されたが,昭和62年再建された。

<参考資料>
  「豊橋市史」「東三河産業功労者伝」「東三河の歴史」「東三河の近代を築いた人々」

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