山口 保治(やまぐち やすはる) <時代>昭和時代  <地域>東三河
山口 保治
(豊川市桜ヶ丘ミュージアム所蔵
赤塚山公園にある山口保治生誕100周年記念碑

<関係地>  豊川市市田町東堤 赤塚山公園
  (JR飯田線豊川駅または名鉄名古屋本線国府駅から豊鉄バス豊川北部線ぎょぎょランド下車)
<業績>
 山口保治は,昭和初期から40年代にかけて様々な童謡を世に出した作曲家で,「かわいい魚屋さん」「ないしょ話」「ふたあつ」はその代表作として知られている。保治が東京音楽学校へ進学した大正時代,東京では,真に子供たちのための歌を作ろうとする童謡運動が盛んに行われていた。その最中に身を置いた保治は,童謡作曲家への道を進んでいく。1936年(昭和11)の「ふたあつ」,翌1937年(昭和12)の「かわいい魚屋さん」と続けてヒット曲を生み出し,童謡作曲家としての地位を固めていった。1941年(昭和16)には,「さよなら三丁目」で童謡では初めての文部大臣賞を受賞した。戦中・戦後の一時期,戦火を避けるため出身地の豊川市に疎開した後,再び上京した保治は,レコード会社と専属契約し,多くの童謡を世に送り出した。また,自宅で「かなりや子供会」を主宰し,子供たちの童謡指導にも力を尽くした。1961年(昭和36)には「かかしのねがいごと」が『第3回レコード大賞童謡賞』を受賞した。

<年譜>
1901年(明治 5)現在の豊川市国府町に生まれる。
1914年(大正 3)国府尋常小学校(現国府小学校)を卒業し,愛知県立第四中学校(現時習館高校)に入学する。
1923年(大正12)東京音楽学校甲種師範科に入学する。以後東京を中心に活躍する。
1936年(昭和11)「ふたあつ」(まどみちお作詞)をレコード吹込みする。
1937年(昭和12)「かわいい魚屋さん」(加藤省吾作詞)をレコード吹込みする。
1939年(昭和14)「ないしょ話」(結城よしを作詞)をレコード吹込みする。
1944年(昭和19)家族と共に郷里の豊川市国府町に疎開し,音楽講師を勤める。
1949年(昭和24)家族と共に東京へ移る。
1961年(昭和36)「かかしのねがいごと」が日本レコード大賞童謡賞を受賞する。
1968年(昭和43)66歳で没。

<学習のポイント>
 郷土土の偉人山口保治の生い立ちを知り,彼の作品を鑑賞しながら,大正から昭和にかけての童謡の歴史を学び取ってみよう。
<見学のポイント>
 赤塚山公園には,山口保治生誕100周年記念碑がある。また,豊川市の施設である桜ヶ丘ミュージアムは,自筆楽譜など関係資料を収蔵している。
<参考資料>
 『山口保治 豊川出身の童謡作曲家の足跡と資料』桜ケ丘ミュージアム刊行

<問い合わせ先・ホームページ>
 桜ヶ丘ミュージアム 0533-85-3775   http://www.city.toyokawa.lg.jp/enjoy/sakuragaokamseum.html

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