知多四国巡り <時代>江戸時代 <地域>知多
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妙楽寺(みょうらくじ)の亮山(りょうざん)像 |
妙楽寺の大師堂と開山堂 |
<所在地>
知多市新知下森29(名鉄常滑線古見駅徒歩10分)
<概要>
チリンチリンと鈴の音を響かせ,遍路(へんろ)姿で知多の各寺院を巡る「弘法めぐり」。この知多四国巡りは1824年(文政7),妙楽寺(みょうらくじ)の住職亮山(りょうざん)によって始められたと言われている。
1809年,37歳の亮山が修行に励むある夜,夢に弘法大師が現れ,「知多は我が宿縁深い場所である。ここに札所霊場を開き,衆生と結縁(けちえん)せよ」とのお告げを聞く。つまり,本四国霊場88か所巡りの知多版をつくりなさい,ということであった。そして,亮山はお告げどおりに札所をつくることを決意し,知多半島中を東奔西走しながら16年かけて88か所の霊場を完成させた。
知多四国第一番の札所は豊明の曹源寺(そうげんじ)である。そして札所は知多半島東側を南下し,篠島・日間賀島を渡り,師崎から北上し,大府の円通寺(えんつうじ)を第88番とした。開山所と番外寺院を加えると98か所の札所になる。巡拝の距離は約 160キロ。徒歩巡りなら一週間ほどかかる。明治時代まで徒歩参りが主流で,各地に弘法宿もできた。服装は自由で精進を強いることもなかったが,本四国にならって白装束の遍路姿が多かったという。しかし時代の移り変わりとともに,大正のころは自転車で,戦後は自動車・バス参りが主流になってやがて弘法宿は姿を消していった。
<学習のポイント>
文化・文政期は,いわゆる化政(かせい)文化と呼ばれ,庶民が文化創造の主人公になった時代である。宗教上の問題に留意しつつ庶民文化の発展を示す好例として扱いたい。
<見学のポイント>
知多市妙楽寺には創始亮山の像がある他,美浜町誓海寺(せいかいじ),葦航寺(いこうじ)にも開山堂がある。
<参考資料>
「知多半島の歴史」
<問い合わせ先>
知多市教育委員会 0562-33-3151
妙楽寺
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