愛知用水(あいちようすい)  <時代>昭和時代  <地域>知多
愛知用水佐布里(そうり)貯水池 水の生活館

<所在地> 知多市佐布里(名鉄常滑線朝倉駅下車 知多バス梅の館口徒歩10分)
<概要>
 昔から知多半島はその地形から大きな川もなく,降った雨はすぐに海に流れてしまい,わずかな日照りでもすぐに水不足になった。「知多の豊年米食わず」ということわざは,知多半島の水田が満足するぐらい雨が降ったら他の地方は水害になってしまう,というたとえである。また,半島各地には真水にまつわる伝説も多く,半島各地で水の質に苦しんだことが分かる。
こんな知多半島に木曽川の水を通したいと考えたのが久野庄太郎(しょうたろう)である。彼は政府に積極的に働き掛け,1950年(昭和25)には世界銀行に融資を申し込みに成功,1958年(昭和32)に着工に至った。当時,招かれたアメリカの技術者はTVA(テネシー川総合開発)以来の大事業であると感激し,協力を惜しまなかったという。そして5年という驚異的な早さで工事が進められ,1962年(昭和37)5月1日に潅漑が開始された。工事費は当時の金額で 422億円であったという。愛知用水の完成によって,農業用水として農地に大きな潤いがもたらされたことは言うにおよばず,名古屋南部地区工業地区の発展や西知多産業道路・臨海工業地区の完成等,知多半島の発展に大きな貢献をする,まさに夢の用水になった。

<学習のポイント>
 単に用水の完成という事実にとどまらず,地域の発展を願い水不足に苦しむ地域の惨状を見て立ち上がった久野庄太郎の心情を考えさせたい。
<見学のポイント>
 佐布里調整池にある知多浄水場には「水の生活館」がつくられている。ここでは,水に関する生活の歴史や県営水道に関わる情報について,パネル,立体模型,生活用具の展示などで紹介されている。
<参考資料>
「知多半島の歴史」
<問い合わせ先>
 水の生活館 0562-55-6531

愛知エースネットへ      トップへ