音吉(乙吉)の難破と聖書和訳(おときちのなんぱとせいしょわやく)  <時代>江戸時代  <地域>知多
音吉(乙吉)らの頌徳記念碑 良参寺 宝順丸乗組員の墓

<所在地> 美浜町小野浦海岸(名鉄野間駅 徒歩30分)
<概要>
 美浜町小野浦には「岩吉久吉乙吉頌徳記念碑」がある。日本人として最初に聖書の和訳に協力した小野浦出身の船乗りたちを記念して建てられたものである。この碑の主人公音吉(乙吉)は,1832年(天保3),千石船の宝順丸(じゅんぽうまる)に米をのせて江戸に向かう途中,遠州灘(えんしゅうなだ)で消息を絶った。故郷の人々は,遭難したものと思い,地元の良参寺(りょうさんじ)に墓碑を建立したが,実際には14か月漂流した後にアメリカ西海岸に漂着し,3人が生き残っていたのである。その後彼らは救われて,ロンドンやマカオに渡り,そこでドイツ人宣教師ギュツラフに出会う。ギュツラフは3人を相手に聖書の翻訳にとりかかり,1年がかりで日本語訳を完成させた。
その後,彼らは商船モリソン号に乗り込み帰国を試みるが,異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)による砲撃を受けて失敗し,帰国を断然せざるを得ず通訳として活躍したという。

<学習のポイント>
 江戸時代に行われた鎖国政策の実態を調べる地域の具体例として,さらに幕末に起きたモリソン号事件やそれに対する幕府の対応についての好例として取り上げたい。
<見学のポイント>
 現在,美浜町小野浦には,三吉の業績をたたえる記念碑が建てられている。また,記念碑北にある良参寺には,宝順丸乗組員の参り墓が残されている。
<参考資料>
「美浜町誌」「知多半島の歴史」
<問い合わせ先・ホームページ>
美浜町教育委員会(0569)82ー1111
良参寺

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