米騒動  <時代>大正時代  <地域>知多
人々の集まった玉林寺(ぎょくりんじ) 米屋「嶋文(しまぶん)商店」

<所在地> 東海市横須賀町植松4(名鉄常滑線尾張横須賀駅下車徒歩5分)
<概要>
 1918年(大正7),第一次世界大戦による好景気とシベリア出兵にあてこんだ米商人の買い占めのため,米価は非常な値上がりをした。8月3日,富山県の一漁村の主婦たちが米商店に押しかけて米の安売りを要求し,打ち壊しをかけるなどの暴動が発生し,この騒ぎが全国に広がっていった。これが米騒動である。
 この騒動は知多地方にも波及し,8月14日夜,東海市横須賀町の玉林寺(ぎょくりんじ)に群衆が集まり,米商人を襲う事件が起きている。その数は80人とも200人とも言われ,多くは 漁民だったようである。ただ,東海市の場合は群衆と米商人の交渉の中で,米の値上げをしないと約束が成立したため,物を投げたり壊したりするといった暴動ではなく夜になっては人々が集まって交渉するといった,かなり秩序だった行動であったようである。この行動は,すぐに他の地区にも伝えられ,米を廉売したり貧民層に救済したりして対応し,騒ぎは広がらなかった。なお半田市では人々から義援金も集まっている。

<学習のポイント>
 全国的にも広がりを見せた米騒動の実状を,地域にもあった史実として具体的な例として紹介する。また,好景気にもかかわらず人々の生活は苦しかった理由を考えたい。
<見学のポイント>
 玉林寺近くの養父(やぶ)町には,人々が詰めかけた米屋「嶋文(しまぶん)商店」も現存している。
<参考資料>
「知多半島の歴史」「東海市史」
<問い合わせ先>
玉林寺
東海市教育委員会  052-603-2211

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