大草城  <時代>安土・桃山時代  <地域>知多
城址の展望台 今に残る土塁と堀

<所在地>知多市大草字東屋敷(名鉄常滑線大野駅下車北徒歩5分)

<概要>
 大草城は,織田信長の弟で後に茶人としても名をあげた織田長益(おだながます)またの名を織田有楽斎(おだうらくさい)が築城しようとし,途中で断念した幻の城である。大野台(現知多市南部と常滑市北部)を拝領していた長益は,伊勢湾の海上権確保のため,大草の地に築城を始めた。しかし,小牧・長久手の合戦後、摂津国(せっつのくに)に移封(いふう)されたため,大体の城の形が出来上がったところで放棄され,廃城となった。現在では本丸と二ノ丸を囲む堀と土塁が残っているが,保存状態がよいのは尾張藩初代藩主徳川義直(よしなお),二代藩主光友(みつとも)に仕えた山澄淡路守英龍(やまずみあわじのかみひでたつ)が大草を給して城址の西南に屋敷を構えるなど,歴代の支配者が保存に努めたためといわれる。知多市では,その歴史的価値をとどめる城址を保存するため,大草公園として整備し,櫓(やぐら)を模した展望台と二の丸跡には散歩道をつくった。

<学習のポイント>
 南に川を配し,小高い場所につくられた城の地形の様子を考え,城の役割について深く追究したい。また,織田有楽斎など当時活躍した文化人について調べ,桃山文化についてくわしく調べたい。

<見学のポイント>
 堀や土塁が多く残されており,当時の面影がしのばれる。また,展望台から伊勢湾を眺めたい。

<参考資料>
 「知多市誌」

<問い合わせ先>
 知多市歴史民俗博物館 0562-33-1571 http://www.city.chita.aichi.jp/kyouiku/syougai/hyu-tory/index.html

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