庄内用水(しょうないようすい)  <時代>戦国時代 <地域>名古屋

庄内用水(北区付近) 元杁樋門(もといりひもん)

<関係地>名古屋市守山区・北区・西区・中村区・中川区・港区


<概要>
 庄内用水は庄内川を水源とし、名古屋市の守山区・北区・西区・中村区・中川区・港区を流れる農業用水で、水路の総延長は28kmである。名古屋市の南西部は、庄内川によって運ばれた土砂の堆積(たいせき)により形成された低湿地帯であり、農業に適した肥沃(ひよく)な土地であった。戦国時代に、各地の領主が自国の経済力を高めるため、庄内川からの用水路の整備に力を入れ、元亀・天正年間(1570〜92)に尾張領主が庄内用水を開削(かいさく)させたのが、庄内用水の起源といわれている。織田信長や豊臣秀吉の時代に作られたのである。
 江戸時代から明治時代にかけて、庄内用水の流路は取水位置の移動などにより変化していった。水路も新田の開発により延長され、1647年(正保4)に熱田新田の干拓(かんたく)が始まり、庄内用水はさらに南へと延長された。1877年(明治10)には取水用の水門(元杁樋門・もといりひもん)を現在の水分(みずわけ)橋付近に建設して、矢田川の下を庄内用水がくぐり抜け、庄内用水や黒川に分流された。明治時代が用水路としての利用の最盛期で、その後、庄内用水沿いの農地が住宅や工場に変わり、次々と支流が廃止されて現在の形になった。現在でも中村区日比津町で中井筋と稲葉地井筋とに分流されて、流域の農地の灌漑(かんがい)や工業用水に利用されている。

<学習のポイント>
 大型機械がなかった時代にどのような技術を使用して、用水路を建設したのかについて考えてみよう。また、庄内用水はどのような利用のされかたをしたのかについても調べてみよう。

<見学のポイント>
 庄内用水にそって遊歩道が建設されており、快適なサイクリングコースになっている。家族連れでレジャーとして訪れるのも良い。

<参考資料>
 「庄内用水」名古屋市土木局河川部計画課

<問い合わせ先>
 名古屋市緑政土木局 河川部河川計画課  052-972-2884   

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