元杁樋門(もといりひもん)  <時代>明治時代  <地域>名古屋
元杁樋門(もといりひもん) ゲート操作部

<所在地>名古屋市守山区大字瀬古字元杁30番2地先(地下鉄上飯田線上飯田駅下車,徒歩20分)

<概要>
  元杁樋門(もといりひもん)は庄内用水の水を取水するため,1910年(明治43)に庄内川の堤防に築かれた取水施設である。樋門(ひもん)とは,取水のために堤防に開けたトンネルと,取水量を調整したり,大水の時などに閉めたりするために造られているゲートである。
  戦国時代に開削された庄内用水は,その後の新田開発により延長された。また,取水のために庄内川の堤防に開口部である樋門を設けたり,矢田川を越えるために川底に暗渠(あんきょ)を造るなど,大規模な土木工事が行われた。江戸時代からの樋門や暗渠などは,腐りやすい木製のため,たびたび改築されており,用水路そのものも板柵や素掘りのため,絶えず補修が行われていた。明治の文明開化とともに,大規模な改修が要求されるようになったが,それに必要なセメントが当時は輸入に頼っており,高価で入手しづらかった。そこで,現在の碧南市出身の服部長七により考え出された人造石を一部に採用し,石造りで1910年(明治43)に完成した。
  1988年(昭和63)に,新樋門が築造され機能的には不要になったが,残り少ない明治の貴重な文化遺産として保存され,産業考古学に携わる人達や市民の関心を集めている。

<学習のポイント>
 元杁樋門から取り入れた水は,農業用水として使用されてきたが,現在では,それ以外に使われているのか調べてみよう。

<見学のポイント>
  元杁樋門の出入り口には取水量の調節や,洪水防止のための木製のゲートがつけられている。巨大なゲートのため,下半分がスライド式,上半分が観音開きの複合式になっており,明治の設計者の苦心がうかがわれる。

<参考資料>
 「庄内用水」名古屋市土木局河川部計画課

<問い合わせ先>
 名古屋市緑政土木局 河川部河川計画課  052-972-2884


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