奥田 助七郎(おくだすけしちろう)−名古屋港の生みの親−  <時代>明治時代   <地域>名古屋 
  
  
    |  |  | 
  
      | 奥田助七郎像(名古屋港管理組合南) | 名古屋港ポートビル | 
<関係地>名古屋港管理組合 名古屋市港区入船1−8−21(地下鉄名港線名古屋港駅下車徒歩10分) 
<業績>
 宮の渡しで有名な熱田の湊は,川の奥にあり,船の大型化に対応できなかった。そこで注目されたのが,当時葦が生い茂るドロの沼地(現名古屋港)であった。膨大な予算がつぎ込まれた大工事は難航を極め,やがて地元で大きな反対運動が起きた。工事責任者の奥田助七郎は,壁にぶつかっていた。 東京の新聞社が,巡航博覧会船「ろせった丸、約4千トン」を武豊・四日市に入港させる計画を発表した。彼は新聞社・船長を説得し,自ら水先案内役を務め,工事途中の名古屋港に入港させることに成功した。これを契機に反対運動は影をひそめ,1907年(明治40)に難工事は見事完成した。
  
  
    | <年譜> | 
  
    | 1873年(明治6) |  | 現在の京都府左京区に生まれる | 
  
    | 1900年(明治33) |  | 愛知県土木技師となり,名古屋港建築にかかる | 
  
    | 1906年(明治39) |  | 巡航博覧会船「ろせった丸」入港に成功 | 
  
    | 1907年(明治40) |  | 名古屋港開港 | 
  
    | 1954年(昭和29) |  | 81歳で没 | 
<学習のポイント>
 インフラである港が,経済へもたらす影響を考えさせたい。また,名古屋港の歴史・取扱い貨物量等を調べさせてもよい。 
<見学のポイント>
 海を見つめる奥田助七郎像を実際に見てみよう。また,現在の名古屋港の新しい顔(ポートビル・水族館・遊園地)にも触れたい。 
<参考資料>
 「歴史ウォッチング4」 「愛知に輝く人々4」 「愛知県の歴史散歩」
<問い合わせ先>
 名古屋港管理組合   052-661-4111
 名古屋市市政資料館 052-953-0051
 愛知エースネットへ      トップへ