宮の渡し(みやのわたし) <時代>江戸時代 <地域>名古屋
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時の鐘跡 |
常夜灯跡 |
<所在地>
名古屋市熱田区神戸町(地下鉄名城線伝馬町駅下車徒歩15分)
<概要>
江戸時代の五街道の一つ東海道は,他と違い唯一,船を利用して海を渡る箇所があった。宮(現在の名古屋市熱田区)と桑名(三重県)を結ぶ海上七里がそれである。そのため,宮の宿(しゅく)は,渡し場としてまた
佐屋路や美濃路(みのじ)などの脇街道との分岐点として,参勤交代や朝鮮通信使の通行・宿泊など人馬の往来で大変なにぎわいを見せていた。
関ヶ原の戦いの翌年,1601年(慶長6)には早くも宿場としての施設が整えられ,1625年(寛永2)には往来の船の安全を願って,成瀬正房によって常夜灯が設置された。4代将軍家綱(いえつな)の時代,1651年(慶安4)の慶安の変(由井正雪の乱)を契機として夕方から翌朝までの出航が禁じられた。そのため旅客の宿泊が激増,都々逸(どどいつ)発祥の地が,宿場内の神戸(ごうど)であるようにその繁栄は全国に知れわたった。その後、1676年(延宝4)に尾張藩主徳川光友の命により、時の鐘が設置された。正確な時刻を知らせるこの鐘は、熱田に住む人々や東海道を旅する人々にとって重要な役割を果たした。
なお,歌川(安藤)広重の「東海道五十三次」にもそのにぎわいが描かれている。
<学習のポイント>
街道や宿場の果たした役割,またシーボルトと伊藤圭介の交流など,この宿場でのさまざまな出来事についても学習することができる。
<見学のポイント>
江戸時代のにぎわいを伝えるものは,ほとんど残っていない。宮の名は熱田神宮門前ということで名付けられたものである。渡し場から神宮までにもたくさんの史跡を見ることができるので,1kmほどの道のりを歩いてみるのもよいだろう。
<参考資料>
「図説 愛知県の歴史」 「角川日本地名大辞典 愛知県」
<問い合わせ先・ホームページ>
名古屋市教育委員会 052-961-1111
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