徳川 宗春(とくがわむねはる)−将軍吉宗のライバル−  <時代>江戸時代  <地域>名古屋
宗春のからくり人形(大須観音境内) 名古屋城

<関係地>大須観音 名古屋市中区大須2−21−47(地下鉄鶴舞線大須観音駅下車徒歩3分),名古屋城 名古屋市中区本丸1−1(地下鉄名城線市役所駅下車3分)

<業績>
 1730年(享保15)徳川宗春は,死亡した兄に代わり,第七代尾張藩主となった。江戸では吉宗(よしむね)が,享保の改革で倹約政策を実施していた。彼の著書「温知政要」には,「倹約は大事だけれども度が過ぎると民の不自由になる」と書かれている。初代藩主の墓参りの際には,真っ赤な着物に亀の甲の笠をかぶり,白い牛に乗って出かけた。彼は,名古屋になかった遊郭を3か所作り,当時禁止されていた武士の芝居見物を許した。倹約ムードの日本の中で,名古屋だけは活気に満ちていた。この状況は吉宗が彼の言動を糺(ただ)しても変わることはなかった。しかし,1739年(元文4)に吉宗は,彼に蟄居謹慎を命じた。将軍にはついに勝てなかったのである。
<年譜>
1696年(元禄9) 尾張3代藩主の20番目の子として生まれる
1730年(享保15) 兄の死により尾張62万石の藩主となる
1731年(享保16) 「温知政要」を著し,初入国
1732年(享保17) 吉宗が宗春の言動を糺す
1739年(元文4) 吉宗から蟄居謹慎を命じられる
1764年(明和元) 67歳で没

<学習のポイント>
 吉宗の倹約政策と宗春の積極財政政策の対比をしながら,当時の日本の財政状況を考えて、どちらの政策を支持するか話し合ってみよう。
<見学のポイント>
 相撲・能・狂言で賑わった大須観音の境内に,1日に4回動く,宗春のからくり人形が設置されている。また,名古屋城にも足を運んでみたい。
<参考資料>
 「歴史ウォッチング3」  「愛知県の歴史散歩」  「愛知に輝く人々9」

<問い合わせ先>
 大須観音
 名古屋城管理組合 052-231-1700

 愛知エースネットへ      トップへ