黒川 治愿(くろかわはるよし)−黒川の地名が残る土木技師− <時代>明治時代 <地域>名古屋
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「黒川」の名が残る地下鉄黒川駅 |
黒川治愿の業績をたたえる碑 |
<関係地> 黒川駅 名古屋市北区城見通3−13(地下鉄名城線黒川駅),木津用水改修の碑 春日井市朝宮町4−1−2、朝宮公園内(名鉄バス高山口下車徒歩3分)
<業績>
黒川治愿の故郷(岐阜県岐阜市柳津(やないづ)町)は,三本の川に囲まれた輪中地帯で,水害が多い地域であった。幼少期の苦い生活体験が,彼を愛知県土木課へ進ませたのであろう。県令(現在の知事)は,名古屋城建設時の堀川(城と熱田の湊を南北に結ぶ)の改修を彼に命じた。彼は,単なる改修工事ではない大計画を考える。堀川と庄内川を結ぶ人工的な運河を作り,庄内川を通じて,木曽川の水を堀川へ流そうとしたのである。名古屋市北区を東西に流れる現在の堀川は,この計画で作られ,彼の名から当時「黒川」と呼ばれた。彼は,1885年(明治18)に愛知県土木課を退くまで「木津(こっつ)用水」など数多くの河川工事に携わった。
<年譜> |
1847年(弘化4) |
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岐阜県岐阜市柳津町に生まれる |
1875年(明治8) |
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愛知県土木課に勤務 |
1876年(明治9) |
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黒川の工事開始 |
1885年(明治18) |
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愛知県土木課を退官 |
1897年(明治30) |
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50歳で没 |
<学習のポイント>
運河・用水が人々の暮らしに与える影響を考えてみよう。また,堀川浄化運動などの環境保護問題についても調べてみよう。
<見学のポイント>
春日井市朝宮公園内には,彼が手がけた「木津用水改修の碑」がある。また,地名として残る「黒川」へ実際に足を運ぶのもよい。
<参考資料>
「歴史ウォッチング4」 「愛知に輝く人々4」 「堀川沿革誌」
<問い合わせ先>
名古屋市市政資料館 052-953-0051
木津用水改良区
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