キリシタン供養塔(くようとう) <時代> 江戸時代 <地域> 尾張
「諸神諸仏諸菩薩」とある卒塔婆 「万願寺」の名が残る交差点

<所在地> 愛知県犬山市五郎丸万願寺(名鉄犬山駅下車徒歩25分)
<概要>
五郎丸の稲荷社にある。この地域のキリシタン弾圧による殉難者の供養塔である。 1661年(寛文元)尾張藩によるキリシタン弾圧は美濃国塩村,帷子(かたびら)村(岐阜県可児市)にはじまり,引き続いて犬山の役人も加わって,五郎丸(ごろうまる)村(犬山市)から高木村(扶桑町)へと波及した。
五郎丸村では,このとき捕らえられた者35人を含め,これ以後7年間に124人が捕らえられた。捕らえられた者の中で罪を許された者数名を除いては,処刑または獄死したといわれる。当時の五郎丸村の人口は205人で,村の人口が半減し,一時橋爪(はしづめ)村に合併された。現在,五郎丸には万願寺(まんがんじ)という地名があるが,もともとは満願寺というキリシタン寺があって,1612年(慶長17)の家康の禁教令に従って取り壊され,今は「諸神諸佛諸菩薩(しょしんしょぶつしょぼさつ)」と書かれた卒塔婆(そとうば)のみが残っている。

<学習のポイント>
キリスト教の弾圧といえば島原の乱などが有名だが,近隣地域にも弾圧のつめあとが残っていることを調べ学習を通して学びたい。

<見学のポイント>
「諸神諸仏諸菩薩」の碑をあらかじめ考え,万願寺の存在の意味を考えさせてから見学したい。

<参考資料>
「犬山市史 資料編2」
「犬山市の文化財」
「犬山 改訂中学校資料」
「郷土史閑話」

<問い合わせ先>
犬山市役所(0568)61-1800

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