船頭平閘門(せんどうひらこうもん) <時代>明治時代 <地域>尾張 
木曽川(水位低)から閘門内へ入る 閘門内から長良川(水位高)へ

<関係地>愛西市立田町(近鉄長島駅より車で30分)

<概要>
 船が水面の高さの違う川,水路,海などを進むときは,水門で水を調節し,水面の高さを一定にしなければならない。 この働きをする水門を“閘門”という。
 1887年(明治9)から始まったオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケを中心とする木曽川・長良川・揖斐川の改修工事により三川が分流すると, 三川の東西の往来ができなくなり,木曽川・長良川の水運が途絶し,桑名港が衰退した。
 そこで考えられたのが,分流後の水運路を確保するための水路である。 ただ,木曽川・長良川は,水位が1m近く違うため,1899年(明治32),内務省の青木良三郎の設計により,閘門の工事が始まり,1902年(明治35)に完成した。 基本的には,パナマ運河の閘門と同じ造りで,観音開きの門を採用したのが特徴である。現在も稼動中であり,平成12年に重要文化財に指定された。

<学習のポイント>
 水郷地区の海部西部の生活について調べよう。

<参考資料>
 「船頭平閘門のあらまし」

<問い合わせ先>
 船頭平閘門管理事務所 0567-24-6233



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