屯倉跡(みやけあと)  <時代>古墳時代  <地域>尾張
屯倉跡の石碑 大石群

<所在地> 稲沢市平和町上三宅(名鉄津島線勝幡駅下車徒歩30分)
<概要>
 6世紀,大和政権の王位継承にからみ,支配権を尾張一帯に伸張したのが熱田神宮を氏神とする尾張氏であった。具体的には,尾張連草香(おわりのむらじくさか)の娘メノコヒメが,継体(けいたい)天皇の妃となり,安閑・宣化(あんかん・せんか)両天皇の母となった。その尾張氏が,尾張の地に設置した屯倉=大和政権の大王(おおきみ)の直轄地,の位置が現在の稲沢市平和町を中心として稲沢市南部の南麻績(みなみおうみ)町から矢合(やわせ)町に広がる一帯と考えられている。その中心部に石碑が建立されている。すぐ横には,古代の宗教儀式使ったのではないかと考えられる大石群もある。
<学習のポイント>
 大和政権の勢力圏の広がりと豪族の関係,また屯倉や田荘(たどころ)などの成立過程について考える。あわせて,古代の人々の宗教観についても考えることができる。 
<見学のポイント>
 屯倉跡自体は,石碑が建立されているだけであるが,広大な濃尾平野の田畑状況を確認し,石碑横の大石群などを見学できる。
<参考資料>
 「平和町誌」 「図説 愛知県の歴史」
<問い合わせ先・ホームページ>
 稲沢市平和支所 0567-46-1111
 稲沢市役所    http://www.city.inazawa.aichi.jp/

愛知エースネットへ      トップへ