御囲堤(おかこいつつみ) <時代>江戸時代 <地域>尾張
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現在の御囲堤 |
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「濃尾用水拾余話」より転載 |
<所在地> 犬山から木曽川河口までの左岸沿い(写真は、一宮市光明寺公園付近)
<概要>
徳川家康は尾張の直轄地とし,九男の義直に与えた。そして,1601年(慶長二)から2年で,尾張平野を囲むように木曽川左岸沿いに巨大な堤防を造らせた。通称「お囲い堤」である。総延長は約50qに及び,平野の出発点の犬山から木曽川河口まで連続している。
御囲堤築造の目的は幾つかあった。 一つは,治水であり,洪水の防止であった。また,木曽からの木材の運搬路の確保と,西国大名に対する備えとして堤防を利用することであった。そのため,東海道は御囲堤と木曽川で遮断されていた。したがって,江戸時代を通じて木曽川を渡るには,「七里の渡し」を利用する以外になかった。
<学習のポイント>
江戸時代初期に築城や土木工事が盛んに行われした。当時の幕府の意図を考えよう。
<見学のポイント>
木曽川左岸の市町には,御囲堤の跡や,それを利用した堤防道路がある。また,堤防には,河口までの距離の表示板がある。
<参考資料>
「濃尾用水拾余話(東海農政局 新濃尾農地防災事業所)」「犬山市史」「扶桑町史」「江南市史」
<問い合わせ先・ホームページ>
東海農政局 新濃尾農地防災事業所 0586−47-7720 http://www.maff.go.jp/tokai/seibi/kensetu/sinnoubi/index.html
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