桶狭間古戦場(おけはざまこせんじょう)  <時代>戦国時代  <地域>尾張
桶狭間古戦場伝説地(豊明市) 桶狭間古戦場公園(名古屋市緑区)

<所在地> 豊明市栄町南館(名鉄名古屋本線中京競馬場前駅下車徒歩5分)
        名古屋市緑区有松町桶狭間広坪(名鉄名古屋本線中京競馬場前駅下車徒歩20分)


<概要>
  16世紀の戦国動乱のなかにあって,駿河・遠江・三河の3国を制圧した今川義元は,上洛を果たす ため,1560年(永禄3)5月,約2万5000の大軍を率いて織田信長の支配する尾張に迫った。5月18日に義元は尾張の国境を越えて沓掛城(くつかけじょう)に到着し、翌19日には織田方の鷲津(わしづ)・丸根の両砦を攻略した。この報せを受けた信長は,わずか3000の兵を率いて出陣し,たまたまの雷雨を利用して義元の本陣を奇襲した。不意をつかれた今川勢は大敗し義元は討死にした。これが桶狭間の戦いである。この結果,織田信長の勢力は急激に拡大し,後に天下を統一し政権を樹立したのも,この合戦の勝利がその跳躍台になったと言える。 
<学習のポイント>
  織田信長が全国に武名をとどろかせるきっかけとなった桶狭間の戦いを始まりとして、織田信長の天下統一事業について学習してみよう。
<見学のポイント>
  古戦場としては,豊明市栄町とともに名古屋市緑区有松町桶狭間が挙げられている。豊明市の「桶狭間古戦場伝説地」には,今川義元の墓と伝えられる塚や合戦に関する碑が数多く建立されている。このうち,1771年(明和8)に建立された七石表は,石碑などの中では最も建立年代がさかのぼるものであり,その第1号碑には「今川上総介義元戦死所」と刻まれている。1937年(昭和12)に「伝説史跡」として国指定史跡となっている。また,隣接する高徳院には,「今川義元本陣跡」の石碑が建立されている。一方,名古屋市緑区の「桶狭間古戦場公園」には,1816年(文化13)に建立された「桶狭間古戦場」の石碑があり,他に義元が水を飲んだとされる「今川義元公水汲みの泉」や「駿公墓碑」と刻まれた石碑がある。また,公園の南200mほどにある長福寺には「今川義元公首検証之跡」と刻まれた石碑がある。この2か所の古戦場跡を実際に見比べてみよう。
<参考資料>
「愛知県史」「愛知の史跡と文化財」「愛知県の歴史散歩」
<問い合わせ先>
豊明市教育委員会 052-823-3200
名古屋市教育委員会 052-961-1111

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