上田 重次郎(うえだじゅうじろう)−村の教育ひとすじに生きた−  <時代>明治時代  <地域>尾張
上田 重次郎 洋風3階建て校舎(想像図)

<関係地> 三宅記念館  稲沢市平和町下三宅  (名鉄津島線勝幡駅下車徒歩40分)
<業績>
 重次郎は漢学の学者になることを決心していたが,となりの三宅村から新しい学校の教師になってほしいという声にこたえ,小学校の先生になった。最初は延命寺(えんめいじ)で授業は行われたが,重次郎の強い願いと努力で洋風の3階建て校舎が完成した。
 重次郎は,学校で教えるだけでなく,家の都合で学校に通えない子を自宅に集め教えた。退職後も自宅で教え続けた。教え子には,海軍大将大角岑生(おおすみみねお)をはじめ有名になった人が多い。
<年譜>
1840年(天保11) 片原一色村(現稲沢市)に生まれる
1851年(嘉永4)  このころから犬山藩校の儒者,村瀬太乙(むらせたいおつ)の下,34歳までの23年間漢学を習う
1874年(明治7) 三宅村義校(みやけむらぎこう)の校長になる
1901年(明治34) 小学校を退職後,自宅で塾を開き,村の教育のために努力する
1929年(昭和4) 90歳で没

<学習のポイント>
 村の教育ひとすじに一生をささげた重次郎の業績や人柄について調べよう。 
<見学のポイント>
 稲沢市立三宅小学校内に三宅記念館があり,館内には上田重次郎の写真や肉筆などの資料が保存されている。校庭には,上田重次郎の像が建っている。
<参考資料>
「心のふるさと みやけ」心のふるさと みやけ編集委員会
「平和町誌」「愛知に輝く人々4」
<問い合わせ先>
稲沢市立三宅小学校 0567-46-0503

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