大角 岑生(おおすみみねお)−小さな村が生んだ海軍大臣−  <時代>昭和時代  <地域>尾張
大角 岑生 三宅記念館(三宅小学校内)

<関係地> 三宅記念館  稲沢市平和町下三宅  (名鉄津島線勝幡駅より徒歩40分)
<業績>
 親一(しんいち−改名する前の名前)は,小さいころ,おじの家に引き取られ,厳しく育てられた。8歳で,三宅村の学校の試験に合格し,上田重次郎の下で,勉強した。朝,学校に登校する前に勉強し,授業が終わって帰宅すると,計画に従って勉強するという勉強漬けの毎日を過ごした。猛烈な勉強の日々は,この後も続き,そのかいあって,海軍大将になり,犬飼内閣の海軍大臣として活躍した。
<年譜>
1876年(明治 9) 三宅村(現稲沢市平和町)に生まれる,幼名は親一
1883年(明治16) 屯倉学校の試験に合格、上田重次郎の下で勉学に励む
1893年(明治26) 海軍兵学校に合格
1931年(昭和 6) 海軍大将に栄進,犬飼内閣の海軍大臣となる
1941年(昭和16) 66歳で没

<学習のポイント>
 海軍大臣になるまでの軌跡を調べよう。 
<見学のポイント>
 稲沢市立三宅小学校内に三宅記念館があり,館内には大角岑生の写真や服などの資料が保存されている。
<参考資料>
「心のふるさと みやけ」心のふるさと みやけ編集委員会
「平和町誌」「愛知に輝く人々4」
<問い合わせ先>
稲沢市立三宅小学校 0567-46-0503

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