鷲津 毅堂(わしづきどう)−明治新政府で活躍した漢学者−  <時代>明治時代  <地域>尾張
鷲津毅堂 有隣舎(ゆうりんしゃ)石標

<関係地> 有隣舎石標(一宮市丹羽) 名鉄バス丹羽下車徒歩1分
<業績>
 1760年(宝暦10)に万松亭(のちの有隣舎)という漢学塾が作られた。この漢学塾で学んだ毅堂は,藩主徳川慶勝の信頼を得て,尾張藩から選ばれ明治政府に入った。文部省や司法省の役人として,新しい日本の国づくりに力を尽くした。 
<年譜>
1825年(文政 8) 一宮に生まれる
1845年(弘化 2) 江戸の昌平校に学ぶ
1867年(慶応 3) 明倫堂督学(校長)になり学制を改革
1880年(明治13)「毅堂丙集」を発行する
1881年(明治14) 東京学士会会員となる
1882年(明治15) 58歳で没

<学習のポイント>
 有隣舎で学び大いに活躍した者は,鷲津毅堂をはじめ,大沼竹渓(おおぬまちっけい),佐藤牧,森春濤(もりしゅんとう)など,たくさんいたことにも注目しよう。 
<見学のポイント>
 バス停で降りると,黒い板塀に囲まれた大きな屋敷が目に入る。それが有隣舎の建物である。門のすぐ横には石標も見られる。
<参考資料・ホームページ>
「一宮の歴史」一宮の歴史研究グループ
「愛知に輝く人々8」
鷲津毅堂 http://www4.airnet.ne.jp/soutai/01_soutai/10-1_wa/03-2_si/wasidu_kidou/wasidu_kidou.html
<問い合わせ先>
一宮市立豊島図書館 0586-72-2343
一宮市教育委員会(木曽川庁舎内)0586-84-0008    

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