伊賀八幡宮(いがはちまんぐう) <時代>江戸時代 <地域>西三河
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随神門 |
拝殿 |
<所在地> 岡崎市伊賀町東郷中89 (名鉄バス八幡社下車徒歩2分)
<概要>
伊賀八幡宮は,1470年(文明2),松平4代の親忠(ちかただ)が松平氏の氏神(うじがみ)として,三重県の伊賀より現在地へ移したのが始まりとされる。伊賀にちなんで伊賀八幡宮と呼び,下井田の地名も伊賀とした。
1566年(永禄9),家康は姓を松平から徳川に改め,三河守(かみ)になったのを喜び,社殿を造営した。現在の社殿の大部分は,1636年(寛永13)に3代将軍徳川家光が岡崎城主本多忠利(ほんだただとし)に命じて造営したものである。社殿は,江戸初期の建築の代表で,江戸時代の神社配置形式(権現造り:ごんげんづくり)をよく残している。
1933年(昭和8),本殿,幣殿(へいでん),拝殿,随神門(ずいしんもん),神橋,石鳥居などが国の重要文化財に指定された。随神門には,老形と若形2体の随神像が安置されている。神橋は,石で造られた反りのある橋でめずらしい造りである。
<学習のポイント>
江戸時代初期の建築様式を学習させたい。また,松平家,徳川家代々の祈願所として,残るエピソードにも触れたい。
<見学のポイント>
緑の木々の中に朱色の随神門や本殿などが鮮やかである。神橋や随神門などの造りにも注目したい。
<参考資料>
「岡崎−史跡と文化財めぐり」
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