大給城 (おぎゅうじょう)  <時代>戦国時代  <地域>西三河
主郭の石塁 堀切

<所在地> 豊田市大内町字城下〜城坂(名鉄三河線豊田市駅より車で約30分)
<概要>
 大給城は標高204m,国道301号線からの比高120mの山頂に築かれた山城である。城郭(じょうかく)規模は東西220m,南北280mと大きく,城の遺構はほぼ完全に残っていてこの地方で最も貴重な山城址である。
 山上部には物見岩(ものみいわ)を始め巨大な花崗岩が露出し,険しい地形とともに自然の防塁になっている。物見岩からの西への眺めは大きく開け,豊田の市街地から尾張地方まで遠望できる。
 大給城は,大給松平氏の本城である。松平宗家(後の将軍家)4代親忠(ちかただ)の次男,乗元(のりもと)は15世紀末までには大給を与えられ,大給松平の初代となった。2代乗正(のりまさ)の時,1506〜1510年にかけて城の大改修が行われ,現在の形の基ができた。
 1590年6代家乗(いえのり)が徳川家康の関東移封に従い,大給城は廃城になった。  
<学習のポイント>
 大給城の山城としての特徴を調べるとともに,全国的にも貴重な史跡だといわれる理由を探ろう。 
<見学のポイント>
 城の遺構はほぼ完全に残されていて,山城の特徴がよく分かる。また,北側の谷部分に残る守りと水の確保を兼ねた石積みは,全国的にも例を見ない大規模なものであり,注目したい。
<参考資料>
 「豊田の文化財」(豊田市教育委員会)
 「定本 西三河の城」(郷土出版社)
<問い合わせ先>
 豊田市郷土資料館 0565−32−6561

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