桜城隅櫓跡 (さくらじょうすみやぐらあと)  <時代>江戸時代  <地域>西三河
桜城隅櫓(すみやぐら)跡 桜城址碑

<所在地> 豊田市元城町1丁目 (名鉄三河線豊田市駅下車徒歩約10分)
<概要>
 桜城は,矢作川右岸の低地,市街地中心部に位置し,城郭全体では32haの面積があったとされているが,現在では隅櫓の石垣と「元城町」の町名に残っている。
 桜城は1614年(慶長19),挙母藩(ころもはん)初代藩主・三宅康貞が陣屋を築いたのが初めで,城の内外に多数の桜を植えたところから桜城と呼ばれるようになった。
 桜城の本格的な築城は1749年(寛延2),挙母に転封(てんぽう)されてきた内藤政苗(ないとうまさみつ)による。内藤氏は築城に当たり,幕府から4,000両を借り入れて,本丸,二の丸と本丸三重櫓の石垣工事から始めた。しかし,天候不順が続き,度重なる矢作川の大洪水にみまわれ,堤防の決壊が相次いで築城工事は困難が続いた。
 1779年(安永8),二代藩主内藤学文(ないとうさとふみ)は,度重なる水害のため築城をあきらめ,高台の樹木台(七州城)への場所変更を幕府に願い出て許された。
 現在残っている隅櫓は,花崗岩の切石を積み上げ(布積み)高さ6.4m,石垣上面は8.7mの方形である。
 築城当時の町筋は現在でもよく残っており,喜多町通り,中町通りなどいずれもカギの手に曲がった城下町特有の町割りがされている。
<学習のポイント>
 江戸時代の藩の政治の中心となる城の様子を残された隅櫓から考えさせる。
 城を中心とした城下町の造りを調べさせる。  
<見学のポイント>
 隅櫓の実際の大きさに触れたい。
 周りの町並みを観察し,城下町の町造りを調べてみたい。
<参考資料>
 「豊田の文化財」 「豊田の史跡と文化財」(豊田市教育委員会)
<問い合わせ先>
 豊田市教育委員会 文化財保護課 0565−32−6561

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