崇化館 (そうかかん) <時代>江戸時代 <地域>西三河
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藩校崇化館跡石碑 |
大手門跡 |
<所在地> 豊田市常盤町1丁目(名鉄三河線豊田市駅下車 名鉄バス樹木台下車約5分)
<概要>
挙母(ころも)藩校である崇化館は,1787年(天明7)挙母藩二代藩主内藤学文(さとふみ)によって創立された。
紀州徳川家からの養子である学文は,幼少より古義学(こぎがく:伊藤仁斎を祖とする儒学の一派で,朱子学を批判して,孔子本来の儒学の意義に立ち戻ることを唱えた)を学び,崇化館設立に当たっては,京都より伊藤仁斎の孫・古義学派の伊藤東所(とうしょ)を学頭に招き,藩学の基礎を築いた。
伊藤東所が記した「崇化館記」によると,崇化館創立の精神は単に物知りをつくるのではなく,政治・経済・武芸全般にわたって広い教養を身に付け,藩のために有用な人物を育成することであるとしている。「崇化館」の命名は東所によるもので,「崇化」は広く教化を高めることとされる。現在「崇化館記」(縦29.3p 横138p)は,豊田市郷土資料館に所蔵されている。
藩士の子弟は8歳になると入学し,15・6歳まで文武に励んだ。設立当時,藩士の子弟で就学した者は,総計295人であった。
なお,崇化館跡石碑前の道路の辻は,江戸時代には,大手門前の表玄関であり,人馬や籠などの往来が多かった。
<学習のポイント>
江戸時代中期には,学問が発達し教育が普及したこと,藩校では儒学を中心に藩士の子弟が学んだことを挙母藩校の崇化館を例に学習する。
<見学のポイント>
藩校がおかれた場所には石碑が建てられている。石碑から西,童子山と呼ばれる小高い台地上に,二代藩主学文が水害を避けて築城した「七州城」があり,隅櫓(すみやぐら)が復元されている。
<参考資料>
「豊田の文化財」(豊田市教育委員会)
<問い合わせ先>
豊田市郷土資料館 豊田市陣中町1−21 0565−32−6561
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