足助城 (あすけじょう) <時代>戦国時代 <地域>西三河
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堀切から南の丸をのぞむ |
復元された本丸,高櫓と長屋 |
<所在地> 豊田市足助町宮ノ後26-2 (名鉄三河線猿投駅下車,とよたおいでんバスさなげ・足助線百年草行き足助学校下下車,徒歩約35分)
<概要>
足助の町並みを眼下に見下ろす真弓山(301m)の山頂に足助城本丸がある。足助城は四方に張り出した尾根を利用し,西の丸・西物見台,南の丸・南物見台をもつ連郭式の山城であり,交通の要衝の地に位置している。
現在残る遺構は,戦国時代に足助地方を領有していた鈴木氏が,15世紀後半から16世紀初頭に築城したものと考えられている。
足助城主の鈴木氏は,当時西三河山間部一帯に勢力を広げていた三河鈴木氏の一統である。鈴木氏が足助へいつごろ入ってきたかははっきりしないが,初代忠親(ただちか)12代重政(しげまさ)13代重直(しげなお)14代信重(のぶしげ)15代康重(やすしげ)が知られている。
1525年(大永5),岡崎の松平清康が進攻し,重政はその家来となった。以後従属離反を繰り返した。1590年(天正18),家康の関東入国に従い,康重が足助城を去って以後,城として使用されていない。
<学習のポイント>
山城の立地条件や造りを調べ,当時の戦いの在り方や戦国時代の状況を考えさせる。
また,徳川家康と鈴木氏のつながりから天下統一の歩みとその関連を考えさせる。
<見学のポイント>
1993年(平成5)に再建された足助城は,発掘調査などに基づく本格的な山城で全国的にも貴重なものである。現在,城跡公園としてよく整備されており,眺望もよい。
足助城の発掘調査による多くの出土品は,足助資料館に展示してある。
鈴木氏五代の墓は,香嵐渓香積寺(こうじゃくじ)の上にある。
<参考資料>
「足助町誌」「新・三州足助」
<問い合わせ先>
足助資料館:豊田市足助町梶平25-1(足助学校下バス停 徒歩3分) 0565−62−0387
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