板倉勝重廟所(いたくらかつしげびょうしょ)  <時代>江戸時代  <地域>西三河
長圓寺肖影堂(ちょうえんじしょうえいどう) 板倉家墓所

<所在地> 西尾市貝吹町入101  (名鉄バス貝吹下車徒歩7分)
<概要>
  長圓寺は板倉勝重(かつしげ,1545〜1624)が慶長年間に再興した寺である。勝重は家康に仕え,江戸町奉行, 京都所司代となった。本堂裏には板倉家の廟所があり,「肖影堂」(県指定文化財)と呼ぶ。方三間の宝形造り,濡縁を巡らした丹塗りの堂である。堂の扁額の文字は,同じく家康に仕えた石川丈山(いしかわじょうざん、安城和泉出身の漢学者)の書である。「肖影堂」一帯には板倉氏代々の大きな格式の高い墓石が林立している。また,勝重の次男重昌(しげまさ)は,島原の乱に出陣して戦死していることから「島原殉難諸士之墓」という石碑も建っている。板倉氏は歴代,京都所司代や老中など幕府の要職を務め,文化財も板倉氏ゆかりのものが多い。
<学習のポイント>
  江戸幕府が長期政権となり得たわけを考えるときに,その基礎を築いた人として位置付けることができる。
<見学のポイント>
  毎年8月14日の夜に,寺裏の萬燈山(まんとうさん)の西面に薪108本を「かぎ形」に連ね,一斉に点火する「かぎ万灯」という行事がある。火の付きのよし悪しを見て豊作を占うのだとされている。また,この辺りの山にあった浅井千坊の僧兵と須美千坊の僧兵が争い,その犠牲者を弔うためとも言われている。
<参考資料>
  「西尾市史」 
<問い合わせ先・ホームページ>
  西尾市教育委員会事務局文化振興課 0563−56−2459 http://www.city.nishio.aichi.jp/index.cfm/8,0,91,408,html

 愛知エースネットへ      トップへ