石川 丈山(いしかわじょうざん)−京都詩仙堂の文人−  <時代>江戸時代  <地域>西三河
石川 丈山 隷書「月画賛」(安城市歴史博物館蔵)

<関係地>
  丈山苑  安城市和泉町 (JR東海道線安城駅あんくるバス南部線和泉丈山苑下車,徒歩3分)
  丈山文庫 安城市和泉町 (JR東海道線安城駅あんくるバス南部線和泉丈山苑下車,徒歩5分)
  詩仙堂 京都市左京区一乗寺門口町27
<業績>
  石川丈山は,江戸時代の初めに武士として,文人として活躍した。丈山は現在の安城市和泉町で武士の子として生まれた。小さいころから優れたところがあり,2歳のころの話を後になって話したり,4歳の時には,本証寺まで12キロを歩いたという話も残っている。徳川家康は丈山の優れていることを知っていたので,いつも自分の近くにおいていた。このように優れた武士として知られていた丈山は大坂夏の陣で,家康の命令を聞かなかったと言われて,ほうびがもらえなかった。そこで,武士をやめ,京都に行って学問に励んだ。その学問は儒教という中国の教えや書だった。特に隷書(れいしょ)と呼ばれる書体を学び,多くの作品を残している。 
<年譜>
1583年(天正11)  三河国和泉郷に生まれる
1595年(文禄 4) 祖父正信の弟石川遠江守信光のもとへ行き,武芸にはげみ兵法の研究にいそしむ
1598年(慶長 3) 松平正綱のすいせんにより徳川家康の近侍となる
1615年(元和元) 大坂夏の陣において,敵将佐々十左衛門を討ち取り功名を得たが,家康の軍律に背く
家康の命令により京都妙心寺で蟄居する
1617年(元和 3) 林羅山の勧めにより儒者藤原惺窩の教えを受ける
1623年(元和 9) 広島の浅野家に出仕する
1636年(寛永13) 京都相国寺のほとりの睡竹堂に居を構える
1637年(寛永14) 朝鮮通信使詩学教授権?(ごんちょく)と詩の贈答を行い,「日東の李杜」と評される
1641年(寛永18) 洛北一乗寺村に詩仙堂を築いて世俗を離れた生活を送る
1672年(寛文12) 90歳で没

<学習のポイント>
  隷書とはどんな特徴があるだろう。
<参考資料・ホームページ>
  「三河人物散歩」 愛知県教育文化振興会
  安城市ホームページ   http://www.city.anjo.aichi.jp/shisei/shisetsu/kyoikushisetsu/maibun-sites-jozanteishi.html
  安城市中央図書館   https://www.library.city.anjo.aichi.jp/kyoudo/kyoudo30.html

<問い合わせ先>
  安城市歴史博物館 0566-77-6655

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