刈谷城跡(かりやじょうあと)  <時代>戦国時代  <地域>西三河
刈谷城本丸跡の石柱 刈谷城址碑

<所在地> 刈谷市城町1−1   (名鉄三河線刈谷市駅下車徒歩15分)
<概要>
  刈谷城は,1533年(天文2)水野氏によって築かれた。その後,1560年(永禄3),桶狭間(おけはざま)の戦いで敗軍によって焼かれた。再建され,1871年(明治4)の廃藩置県まで譜代大名の居城となった。本丸・二の丸・三の丸・お屋敷などが整備されその周りを空堀が取り巻き,大手門から町口門を経て城下に通じていた。
<学習のポイント>
  戦国時代,織田氏と今川氏に挟まれた水野氏と松平氏が,存亡をかけて様々な政略を推し進めていった過程を学習する場面で取り上げたい。
<見学のポイント>
  亀城小学校の北東には椎の木屋敷と呼ばれている場所がある。ここは岡崎の松平氏から離別された於大が一時期住んでいたと言われる所である。現在では日本庭園として一部整備され,市民からは亀城公園と呼ばれ親しまれている。
  刈谷市郷土資料館は昭和初期の建築様式をとどめる亀城小学校旧本館であり,「刈谷城絵図」を基に作った刈谷城の模型がある。
<参考資料>
  「刈谷市史」
<問い合わせ先>
  刈谷市教育委員会文化振興課 0566-62-1037

 愛知エースネットへ      トップへ