伊保原飛行場(いぼはらひこうじょう) <時代>昭和時代 <地域>西三河
神風特別攻撃隊草薙隊の碑 海軍の消火栓

<所在地>豊田市浄水町(名鉄豊田線 浄水駅下車 徒歩15分)
<概要>
 豊田市浄水町の県愛知少年院から南一帯の広大な地域を伊保原という。1940年(昭和15),愛知時計電機の試験飛行場として長さ1,000m の滑走路ができ, 2年後,施設や滑走路を共有する形で名古屋海軍航空隊がこの飛行場に併設された。 1944年(昭和19)9月,名古屋海軍航空隊は,艦上爆撃機(急降下爆撃により爆弾で戦艦を攻撃する飛行機)の搭乗員養成を求められる。 そして,艦上爆撃機の訓練のために滑走路の増設が行われ, 1945年(昭和20)4月,「神風特攻隊草薙(くさなぎ)隊」が編成される。 この部隊は,沖縄のアメリカ軍戦艦と輸送船に対し,3度にわたり特攻を敢行し,62名が亡くなった。
 戦後,元海軍航空隊兵舎などの建物は,地域の市町村に払い下げられ,新制中学などの校舎となった。 航空隊本部建物とプールが愛知少年院の施設としてしばらく残った。そして,1972年(昭和47),愛知少年院の南に神風特別攻撃隊草薙隊の碑が建てられた。

<学習のポイント>
 太平洋戦争の時代を学習する際,岡崎海軍航空隊と併せて学習する資料にしたい。

<見学のポイント>
 現在は,神風特別攻撃隊草薙隊の碑や,戦後から昭和40年代までの開拓の様子を記した開拓碑もあるので,その碑文から当時の様子をつかませたい。

<参考資料>
 「豊田市戦時関係資料集」「豊田物語〜豊田市制50周年記念誌〜」

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