岡崎海軍航空隊(おかざきかいぐんこうくうたい) <時代>昭和時代 <地域>西三河
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若桜の碑 |
予科練之碑 |
<所在地>
若桜の碑(豊田市桝塚西町柳川瀬公園)(愛知環状鉄道 北野桝塚駅下車 徒歩15分)
予科練之碑(安城市尾崎町熊野神社)(名鉄名古屋本線新安城駅下車,あんくるバス北部線乗り換え,熊野神社下車すぐ)
<概要>
岡崎海軍航空隊の基地は,豊田市の上郷中学校周辺を北辺とし,安城市尾崎町を南辺とした一帯にわたる総面積約446haの広大な地にあった。この基地には航空隊が3つあった。 中央東西一本の滑走路を中心に第一岡崎海軍航空隊が南に,第二岡崎海軍航空隊が上郷町を中心として北にあり,第三岡崎海軍航空隊が豊田市桝塚西町を中心とした位置にあったといわれている。
第一,第二岡崎海軍航空隊には,およそ12,000名が入隊している。6ヶ月間の訓練で,93式陸上中間練習機(通称赤トンボ)による飛行訓練・航空機整備を行い,各地の実施部隊へ配属されていった。
第三岡崎海軍航空隊は,特別攻撃のための搭乗員の育成を行い,訓練の後,特別攻撃隊として沖縄へと飛び立っていった。
敗戦後は,アメリカ軍により施設や練習機は処分され,滑走路は,農地や工業用地になった。
この戦争で尊い生命を落としてしまった第三岡崎海軍航空隊の14歳〜19歳の若者たちを悼み,1974年(昭和49)「若桜の碑」が建てられた。
<学習のポイント>
太平洋戦争時の学習をするにあたり,当時の人々の暮らしや,この航空基地がどんな役割をもっていたのか学習したい。
<参考資料>
「豊田市戦時関係資料集」
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